
自分が高齢になり衰えていくのは耐え難いものです。
そんな高齢者の辛い心に寄り添うためには、高齢者のプライドを尊重してあげる必要があります。
たとえ、認知症になっても感情は強く残るもの。
より良い介護をするには、本人(要介護者)の心に寄り添い、察することを忘れてはいけません。
では、くわしくみていきましょう。
目次
「世話にならなければできない」という苦しみ
高齢になると老化により身体的な衰えだけでなく、精神的にも衰えていきます。
若い頃ならば、少々の苦難を跳ね返せすことができました。
しかし、高齢になると気力がなかなか出ません。
さらに、脳の前頭葉の衰えから、若い頃のように感情をおさえて周りに合わせることもなかなか出来ません。
そのような中で、介護生活に入り、
「周りの世話にならなければできない」
という実際の状況になってしまうことは、どれほど耐え難い苦しみでしょうか。
そして・・
その苦しみが時には言葉や態度にどうしても出てきてしまうことがあるのです。

感謝はなく、不機嫌
介護者が一生懸命がんばって世話をしているのに、本人はお礼を言ってくれるどころか、不機嫌そうな顔をすることがあります。
どうしてでしょうか?
まず、介護がスタートした頃を思い出してみましょう。
初めの頃は慣れないことに介護者も本人に対して丁寧に接していたでしょう。
しかし、介護が日常的になってくると慣れていき、だんだんと丁寧さがおろそかになってしまいがちに。
慣れてくると、ついつい早く済ませてしまうことを優先しがちになるものです。
確かに介護は毎日続くことなので、同じことを繰り返していれば作業的になってしまうのは仕方ありません。
ですが、介護される側の気持ちを忘れないようにしましょう。
なぜなら、不機嫌そうにしている原因は・・
介護者にまったく悪気がなくても、本人のプライドを傷つけてしまっていることが原因かもしれないからです。
繊細な高齢者のプライド
前述したように高齢者は心身の衰えから非常にデリケートな心になっています。
とくに、介護生活がスタートすると、つねに、
■世話をしてもらっている
■迷惑をかけている
このことが頭にあるため、介護者や周りの言動に敏感に反応し、簡単に傷ついてしまうことがあります。
では、介護者はどのようなことで知らず知らずに本人を傷つけてしまっているのでしょうか?
「恥ずかしい」という気持ちを無視してしまう
介護生活に入り、本人が一番とまどうのが入浴や排せつの世話をしてもらうことです。
普通、お風呂にはひとりで入りますよね。
そして、もちろんトイレもひとりです。
それなのに、今は誰かの世話にならなければ入浴も排せつもできない・・
これは本人にとって非常に辛いことです。
ですが、介護者にとっては、
■入浴は清潔を保つため
■排せつは処理をするため
と目的そのものだけを考えてしまいがちに。
しかし、本人にとってはそれ以前にとても恥ずかしいことなのです。
そんな気持ちを無視していないでしょうか?
せっかちになってしまう
介護の時間を早く済ませたい
という気持ちから、本人をせかしていないでしょうか?
「早く食べて」
「早く着て」
「早く脱いで」
このように「早く、早く」とせかされても、体が思うように動かせない高齢者にはできません。
また認知症の場合、失行により、物事の手順がわからなくなるため、せかしてしまうことでさらに混乱させてしまうことがあります。
(参考記事)
語尾が「~してあげている」
会話の語尾が、
「~してあげる」
「~してあげたよ」
「~してあげようか?」
になっていないでしょうか?
※たとえば、ご飯を用意するとき・・


ご飯にしてあげるね
このように「~してあげる」という語尾で言われるとプライドが傷つく人がいます。
では、どのように言えば良いのでしょうか?

※承諾の語尾にする


ご飯にしようか?
このように、ほんの些細な違いですが、語尾を承諾の言葉にすることで本人はプライドを守ることができます。
子ども扱いしてしまう
高齢になっても、介護が必要になっても、そして認知症になっても・・
本人は大人です。
子供のようにできないことが多くなったからといって、子ども扱いしてしまうとプライドを傷つけてしまうことに。
確かに高齢になると耳が遠くなるため、ゆっくりと話しかける必要があります。
しかし、子供ではなく大人に話しかける口調にしましょう。
本人の立場になりプライドを守る
たとえ、高齢になっても・・
■年寄り
■老人
と呼ばれたい人はいません。
これらの言葉に対する世間的なイメージは「弱者」であり、自分がその弱者になったとは思いたくないものなのです。
そのような繊細な高齢者の心をできるだけ配慮してあげましょう。
誰でもいずれ高齢になるのです。
その時になっても・・
「ひとりの大人として扱ってほしい」
私たちも人間の尊厳として、このように思うのではないでしょうか?