(症状9) 暴力・暴言

認知症になると、どうしても不安感が大きくなります。

その不安感が、ときとして暴力や暴言になって表に現れることも。

しかし、たとえ認知症になっても、意味もなく暴力を振るったり、暴言を吐くことはありません。

このような状態を一方的に「介護に抵抗する人」と決めてしまわずに、

■なぜ、暴力を振るうのか?

■なぜ、暴言を吐くのか?

本人の立場に歩み寄り、あらためて考えてみましょう。

承諾を得たのに怒る

私たちは他人と納得しあいながら暮らしています。

とくに他人が自分に対して何かの行動をしてくる時は、まず納得していることが前提にあるものです。

そうでなければ、「暴行された」という形になってしまうでしょう。

私たちは、認知症の人を介護するとき、暴力や、暴言にあうと

「抵抗された」、「暴行された」と思ってしまいがちですが・・

じつは、本人の方が「暴行された」と思っているかもしれないのです。


兄(笑顔)

では、車椅子に移動しましょうね


父(にこ)

はい、よろしく


※しかし、車椅子に乗せようと身体に触れると・・

父(怒る)

なにするんだっ!

※このように手を叩かれ、怒鳴られることが・・


このとき本人の中で何が怒りに火をつけたのでしょうか?

まずは、私たちも同じ立場になって考えてみましょう。

誰でも自分自身に対して防衛反応や、プライドがありますよね。

もしも、その部分に、何の説明もないまま入ってこられたらどうでしょうか?

兄(困った)

え?でも、ちゃんと承諾を得たのに?

そうですね。

声をかけてから、介護の行動に入るのは基本でしょう。

しかし、認知症という病気を背負っている人に対しては、もっと踏み込んだケアが必要になります。

認知症は納得の持続が難しい

認知症の記憶障害で、「何度も同じことを聞いてくる」ということがよくあります。

この症状がおこるのは、「記憶の維持ができない」からですよね。

私たちからすると、記憶が薄れてくるのは数日ぐらいたってから・・という感覚があります。

しかし、認知症の人はちがいます。

症状が進行してくると、ほんの数分前に聞いたことでも、スッポリと抜け落ちてしまうことも。

それがどうしてなのか、何かおかしい?と思っていても自分ではわかりません。

このように、「納得の継続が難しい」ということが、本人の不安感を増幅させることになるのです。

情報を伝え続ける

私たちは病院に行くと、イヤなことをされることもあります。

検査のための注射や、治療のための手術など。

ですが、私たちは暴れたり、暴言を吐いたりはしません。

なぜなら、それらは「自分のための行為である」とわかっているからです。


しかし・・もしも、あなたが何の説明も受けていないのにいきなり腕に針をさされたらどうですか?

弟(びっくり)

な!なにすんだよ!

これはいったい何の注射なのか?

これはいったい何のためにするのか?

これらが理解できていないため、びっくりして全力で拒否するはずです。

全力での拒否とは・・

■暴れる

■かみつく

■大声を出す

このように、ありとあらゆる方法で力いっぱい抵抗することです。


では、これを認知症の人を例に考えてみましょう。

Tさん80才代(男性)

Tさんはアルツハイマー型の認知症です。

ある日、体調を崩したため、点滴を受けることになりました。

医師から点滴の説明をされ、きちんと理解して応じました。

ところが、Tさんはしばらくすると点滴の針を抜こうとします。

何度も、何度も・・・

そこで、介護人がつきっきりで側にいて、

「これは〇〇のためにしている点滴ですよ」

と、情報を伝え続けました。

こうして何とか点滴を終えることができました。

さて、では、Tさんが点滴を抜こうとしたのはなぜでしょうか?

それは医師から最初に受けた「点滴をする説明が記憶からスッポリと抜け落ちたから」でしょう。

そこで、介護人が側にいて常に「点滴をしている理由」をTさんに伝え続けたことで、点滴が終わるまで記憶の継続ができたわけです。

もしも、このような認知症の人の記憶障害が理解されていなければ、Tさんは、

「大事な医療行為を拒否する問題行動のある人」とされてしまうでしょう。

そして、点滴の間、拘束されることがあるかもしれません。

しかし、Tさんの立場からすればどうでしょうか?

いきなり、説明もなく点滴をされ、もしも拘束されれば・・

自分こそが暴行されている

・・と、感じても自然なのではないでしょうか?

周りの関係と不安感

もともと元気な頃から、暴力的であったり、暴言を吐いていた人は別にして、

穏やかだった人が認知症で、変わってしまった場合は何かのサインかもしれません。

たとえば、記憶障害によって何度も同じことを聞いたり、物をしまい忘れたことを家族に疑ったりして、

そのような日々の中で、理由はなぜだかわからないけれど、「迷惑をかけている」ということは感じます。

しかし・・

認知症という病気が邪魔をして、そのことをうまく伝えることができません。

そのため、手をあげたり、怒鳴るなどの行動にでてしまうことがあるのです。

このように暴力や暴言は、不安感からくる本人なりのサインなのかもしれません。

もう一度、本人と日々どのように接しているのかを振り返ってみましょう。

身体の不調が原因かもしれない

暴言、暴力は、精神的なことはもちろんですが、身体的なことが原因の場合もあります。

たとえば、身体を動かしてあげようとして、手をあげられるのは、「痛み」によるものかもしれません。

認知症の人はそのことをうまく伝えることができないため、暴力や暴言としてあらわすことがあるのです。

身体のどこかに異常がないか?

入浴の時などに、さりげなくチェックしてみてあげてください。

まずは「受け入れる」

たとえ、相手が間違っていることをしたとしても、頭ごなしに否定するのはよくありません。

まずは、いったん、受け入れてあげる。

これがとても大切です。

認知症の人は自分の力で周りに合わすことができません。

ですから、こちら側から合わせてあげるようにしましょう。

先述したように、場合によっては、暴力・暴言が記憶障害によるものだとわかれば、適切な対応法を考えてあげることができます。

【対応例】
■身体に触れる際は、細かく何度も声掛けをする
■本人が嫌がることは無理強いしない
■早口ではなく、ゆっくりと話す
■慌てず、ゆっくり待ってあげるようにする


父(泣く)

なぜ、こんなこともすぐにできないんだろうか・・


兄(笑顔)

大丈夫。時間はたくさんあります。ゆっくりやりましょう~

このように、本人の世界に入って対応してあげることが大切です。

どうしても改善しない時は

どんなに適切だと思う対応をしても、暴力や暴言がおさまらないこともあります。

認知症といっても体力はそのまま残っているので、全力で暴力をふるわれたらたまりません。

何ごとにも限度というものがあります。

あらゆる対応をしても、暴力がおさまらない場合は、この限度をきちんと見極めましょう。

なぜなら、認知症になる以前の本人の性格や、家族関係など、それらが暴力や暴言に複雑に絡まっている場合があるからです。

このようなときは、薬物療法がやむ得ないこともあるでしょう。

精神科医と相談して、手段の道を見つけるという選択肢も必要です。

介護は「本人だけでなく、介護人、そして周りの幸せが維持できなければ意味がない」

このことを忘れないようにしてください。