認知症の人が求めているものは何か?

認知症を患った人々にあらわれる色々な症状。

認知症を患っていない私たちにとっては意味不明な行動や言動に見えてしまいます。

もちろん、それらの症状は「認知症がさせているもの」であることにかわりないでしょう。

しかし、認知症の人をひとりの人間として尊重し向かい合う介護をするためにはもっと深い歩み寄りが必要になります。

では、くわしくみていきましょう。

満たされない想い

認知症の人の立場になって考え、人権を尊重していくケアを、パーソン・センタード・ケアといいます。

このケアの考え方を提唱したのはイギリスのトム・キットウッドという人です。

彼は、認知症による多くの症状は「脳の変性」によって必ずしも起こるのではなく、「満たされない想い」から起こるのではないかと発表しました。

ではこの、「満たされない想い」とはなんでしょうか?

そこに認知症の人が本当に求めているカギがあります。

健康な脳を持つ私たちは当たり前のことで気がつきにくいのですが、さまざまな自己欲求を自力で叶えながら生活しています。

しかし、認知症という病気になると、それまで当たり前に自力で叶えていた大切なことが満たすことできません。

そこに注目したトム・キットウッドは以下のような「認知症の人たちが求めるもの」を図にしました。



これらのことはいうまでもなく、ひとりの人間が生きていく上で非常に重要なことばかりですよね。

私たちは普段これらのことを、自力、もしくは、誰かに頼んだりして叶えています。

たとえ、これらのことを邪魔されたときも自力で訴えることができます。

しかし、認知症の人はそれができません。

つまり、これら、生きていくための自尊心を守る事柄を自力で叶えることができなくなってしまうのです。

トム・キットウッドは、これらの認知症患者に共通する「満たされない想い」に気づき、そこからケアをしていくことを提唱したのです。

満たされないことは不安になる

健康な脳を持つ私たちは、「たまにひとりで過ごしたいな」と思うことがありますよね。

しかし、このように思えるのには大きな前提があってのこと。

それは・・

■寂しくなったり、誰かに会いたくなれば、自力で移動し、会いたい人に会える。

■もしくは、電話やメールで自力で連絡をとることができる。

これらのことができるという大きな前提があるからこそ・・

弟(困った)

ああ~、ひとりでノンビリしたい・・

このように思えるのです。


しかし・・

すぐに連絡をとって会えると思っていた人に、このさき一生ずっと自力で会うことは叶わないかもしれない・・という状況になったらどうでしょうか?

現にアルツハイマー型の人で、ひとりで過ごしたいという人はほとんどいないといわれています。

自力ではもうどうすることもできない・・・

このことほど、心の安定感を失わせるものはないのではないでしょうか?

大きな不安からほとんどの人は大切な人の姿を探します。


※自分の配偶者を探したり・・

父(泣く)

母さん・・どこにいったんだ・・


※さかのぼった記憶にある子供を捜したり・・

母(困った)

早く○○ちゃんを迎えにいかなきゃ!幼稚園が終わる時間だわ!



「大切な人を失うかもしれない、もう二度と会えないかもしれない・・」

しかし・・

大切なことを強く求める本人の気持ちを認知症という病気が残酷に邪魔をします。

たとえ求める家族が目の前にいても、認知症は見当認識を衰えさせることで家族を別人に変えてしまいます。

もしも、このような状況になったとしたら・・

私たちも大声を出すのではないでしょうか?

私たちも不安になって落ち込むのではないでしょうか?

私たちも昔の家に帰ろうとするのではないでしょうか?

さまざまな形であらわれる

この「不安」という感情はさまざまな形であらわれます。

たとえば、あなたがとても大切にしている本を友人に貸していたとしましょう・・

弟(あ)

本を返してくれない?

あなたはいつでも自力でその本を「返してほしい」と要求することができますよね。


しかし、認知症の人はそれが自力ではできません・・

父(怒る)

絶対に離さないぞ!!

「一瞬でも手放したらもう二度と取り戻せないかもしれない!」

このような不安が働けばしがみつきたくなります。


人によっては記憶障害により、そのような対象物が幼い頃の大切なぬいぐるみになるかもしれません。

そう考えれば、決して理解できないことばかりではないのです。

満たされない想いを察してあげる

このように、認知症の人が求めているものがトム・キットウッドのように「満たされない想い」ならば、そのことを察してあげることが大切です。

たとえ、あなたの顔がわからなくなってしまっても、決してあなたを忘れたわけではありません。

ただたんに認知症が見えないフィルターを作って邪魔をしているだけです。

つまり、本人からすると、大切なあなたには一生会えない・・ということになるのです。

認知症の介護では、そのような本人の「満たされない想い」を察すること。

そして、形は違っても応えてあげることは可能だと思うのです。

介護者(笑顔)

私ね、○○ちゃんのこと知っているよ!ドジだけどすごく良い子だね


母(笑顔)

そうなの!?あなた、○○ちゃんを知ってるのね~!もっと話を聞かせてくれる?


介護者(ほ)

うん・・・・もちろん・・たくさん話してあげるよ・・


大丈夫です。

あなたと大切な人の絆は何も変わっていません。

今も、これからも、ずっと・・。