年老いても自分でできることは自分でやりたい

介護生活がスタートして、他の人から世話を受けるようになっても、本人としては、

「できることならば自分のことは自分でやりたい」

と思っているものです。

ですが、介護者側からすると、「ひとつひとつのケアに時間をかけず、手際よく済ませてしまいたい」と思ってしまいがちになります。

その結果、本人ができることまでついつい先回りして手助けしてしまうことに。

しかし、このように介護者が必要以上にあれもこれもとやってあげることが良い介護とはいえません。

なぜなら、本人からすると・・

■「できることもやらせてもらない」というストレスがたまっていく

■残った機能を維持する機会を奪われていく

このように、本人にとって大切なことが犠牲を受けることになります。

これでは介護生活を長期の視点から眺めたとき、あまり良い結果が望めません。

では、どうすればいいのでしょうか?くわしくみていきましょう。

使わない機能は衰えていく

人間の体の仕組みは「使うことで機能が維持される」ようにできています。

もちろん、老化や認知症のため、本当に自力できなくなってしまったことは仕方ありません。

しかし・・

本人がまだ自分でできることまで介護者が代わりにしてしまうと、残った機能を使えるチャンスを奪ってしまうことになるのです。

自分でする気力を失う

あれもこれもと素早く介護者がしてしまうと、本人はしだいに「自分でやりたい!」という気持ちも失くしていくでしょう。

それはまるで・・

「できること」を「できなくていいですよ」と言われているのと同じです。

介護者(え)

お母さんはジッとしていて。私がするから!

母(困った)

・・・・

このように、介護者が必要以上に手助けしてしまうケアは、本人の身体的能力だけでなく、気力まで奪ってしまいかねません。

「見守り」は介護者のためでもある

介護は・・

「本人ができなくなったことを手伝う」

これが基本。

つまり、「してあげる介護」ではなく、「見守り介護」の方が重要です。

また、見守り介護で、残った機能を使ってもらうことは、本人のためだけではありません。

残った機能を使い続けることは、身体的能力の維持だけではなく、意欲も保たれるため、脳が適度な刺激を受けます。

それは認知症の進行を遅くすることに繋がり、そして介護者の負担が増えないことにも繋がるのです。

本人ができることは任せる

介護が必要になり、自力でできないことが増えても、部分的に見ればまだできることは意外とあるものです。

たとえば入浴のとき、自分で体のすべてを洗うことができなくなっても、部分的によっては自力で洗えます。

その残った機能を介護者が見極めて、本人に任せてあげましょう。

兄(笑顔)

ボクが背中を洗いますから、前の方はご自分でできますか?

父(笑顔)

ああ、できるよ

このように一部分だけでも任せてあげることで、筋力を維持することができ、また本人の自立心を保つことができるのです。

余裕のある介護が大切

介護者が素早く何もかも世話をしてあげる介護は長期的に見てお互いのためになりません。

また、必要以上に手助けをする介護を続けていくと、「できることをさせてもらえない」とストレスをためる人だけでなく、「ラクで便利だ」と思ってしまう人もいます。

人間というのはラクなことに弱い生き物です。

あまりにも手助けしてしまうと、本人の依頼心がドンドン大きくなり、「あれもして、これもして」という状態になりかねません。

こうなると、介護者の負担はますます重くなることに。

それを避けるためにも、

■自分でできることは自分でやりたい

■自分でできることはやらなければいけない

この2つの気持ちを本人からできるだけ奪わないようにしましょう。

そして、残った機能が少しでも長く維持できるようにしてあげましょう。

そのためには、ゆっくりと余裕をもち見守ってあげる介護が大切なのです。